無神論者のための神証明入門

哲学者が「存在」をどう論じてきたか:神存在証明論における「存在」概念の落とし穴

Tags: 存在論, 神存在証明, 哲学史, カント哲学, 論理学

神存在証明論における「存在」という言葉の重要性

ウェブサイト「無神論者のための神証明入門」にお越しいただき、ありがとうございます。このサイトは、神存在証明論に対する論理的・批判的な視点を提供することを目的としています。

神存在証明論を議論する際に、最も基本的な、そして同時に最も厄介な言葉の一つが「存在」です。「神は存在する」という主張が、証明論の中心にあるからです。しかし、哲学の歴史を紐解くと、「存在」という言葉は、私たちが普段何気なく使っているよりもはるかに複雑で、多義的な概念であることが分かります。

多くの神存在証明論、特に存在論的証明や必要存在論的証明は、「存在」という概念の特定の理解に強く依存しています。そのため、これらの証明論を論理的に評価するためには、「存在」そのものが哲学的にどのように論じられてきたのか、そしてその概念が神存在証明論においてどのように扱われているのかを理解することが不可欠です。

この記事では、哲学史における「存在」概念の主要な変遷を概観し、それが神存在証明論でどのように用いられ、どのような論理的な問題点や批判が存在するのかを解説します。

哲学史における「存在」概念の多様な捉え方

「存在」という問いは、哲学が始まって以来、常に中心的なテーマの一つでした。

神存在証明論における「存在」の特別な扱いと批判

このような哲学史における「存在」概念の変遷、特にカント以降の理解を踏まえると、多くの神存在証明論が抱える問題点が見えてきます。

他の宇宙論的証明や目的論的証明も、「原因」や「設計者」として「存在する」何かを想定しています。これらの証明論では、存在論的証明ほど直接的に「存在」そのものの概念が論証の中心になるわけではありませんが、それでも、これらの証明が成功したとして導き出される「原因」や「設計者」が「存在する」ことの意味を、哲学的な「存在」理解に基づいて検討する必要があります。

まとめ:神存在証明論を評価する上での「存在」概念の重要性

哲学史は、「存在」という言葉が決して単純なものではなく、どのように捉えるかによって議論が大きく変わることを示しています。特に、カント以降の「存在は実在的な述語ではない」という洞察や、現代論理学における存在の量化子としての理解は、神存在証明論、とりわけ存在論的証明に対して極めて強力な批判を提供します。

神存在証明論を検討する際には、そこで「存在」という言葉がどのように使われているのか、それが哲学史における「存在」概念の多様な理解のうち、どの理解に基づいているのか、そしてその概念の使い方が論理的・哲学的に妥当なのか、といった点を深く吟味する必要があります。

無神論や懐疑論の立場から神存在証明論を評価する際には、これらの哲学的な「存在」を巡る議論の知識が、証明論の論理的な弱点を見抜く上で大きな助けとなるでしょう。「神は存在する」という結論だけを見るのではなく、その結論に至る論証の過程で用いられている「存在」という概念そのものを、批判的に分析することが重要なのです。